筋に儼守《げんしゅ》するのみである。幸福は合理的生活の所産であり、これと同様に、不幸は有形無形に亘る一切の法則の意識的違反から発生する。
 われ等の遠き前途に就《つ》きては、われ等は何事も語るまい。何となれば、われ等も亦《また》それに就《つ》きて、何等知るところがないからである。が、われ等の現在に就《つ》きていえばそは諸子の送る地上の生活と同じく、不可犯の法則によりて支配され、幸不幸は、ただその法則を遵守するか否かによりて決せらるるのである。
 われ等は今ここで、われ等の唱道する教義に就《つ》きて細説はせぬであろう。神に対し同胞に対し、又自己に対して守るべき人間の責務につきては、諸子もほぼ心得ているのである。他日諸子はこれに就《つ》き、更により多くを知るであろう。現在としては既成宗教のドグマと、われ等の教義との間に、いかに多大の径庭《けいてい》があるかを明かにしたのを以《もっ》て満足するとしょう。
 諸子はわれ等の主張が、既成宗教の教条に比して、遥かに不定形、遥かに不透明であると思うであろう。が、われ等は、決して彼等の顰《ひそみ》に倣《なら》って実行不能、真偽不明の煩瑣《はんさ》極まる
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