も一致していないのである。加之《しかのみならず》バイブルの中には、人間的|誤謬《ごびゅう》の夾雑物《きょうざつぶつ》が少くない。これは霊媒という一の通信機関を使用する、必然の結果である。真理は全体の流れの中に見出すべきで、一字一句の末に捕えらるれば、到底真理を掴むことはできない。全体と交渉なき局部的の意見は、筆者の思想を窺うのには役立つが、われ等の信仰問題とは没交捗である。二千年、三千年の昔に於《おい》て述べられた言説が、永遠に威力を有するものと思うは、愚も亦《また》甚《はなは》だしい。そうした言説は、それ自身の中にも矛盾があり、又同一書冊の中に収められた、他の言説とも相衝突している。大体に於《おい》て言うと、バイブル編成時代の筆者達は、イエスを以《もっ》て神の独子と思考し、このドグマを否定するものを異端者と見做した。同時に又それ等の人達は、あまり遠くない将来に於《おい》て、イエスが雲に乗りて地上に再臨し、地上の人類の審判に参与するのだと信じて居た。無論これ等《ら》が皆迷信であることは言うまでもない。イエスの死後、すでに千八百年以上に及べど、今|以《もっ》てイエスは地上に再臨しない。よ
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