、『英国心霊協会』の創立に際しては大いに奔走の労を取り、又一八八四年、『ロンドン神霊協会』が組織された時には、直ちにその最初の会長に推された。又晩年には、今日尚お刊行しつつある『ライト誌』の最初の主筆でもあった。
彼の晩年には、物理的心霊現象は全然止んだが、しかし自動書記現象は、その最後までつづいた。その中元来あまり健康でなかった彼の体力は、数回のインフルエンザの為めに、回復し難き迄に衰弱し、かくて一八九二年、(明治二十五年)九月五日を以《もっ》て帰幽した。
右の如く、彼の経歴には、さして非凡というほどの事もないが、しかし彼のすぐれた人格と、又その行くとして可ならざるなき抜群の才識とは、まことに驚嘆に値するものがあった。彼は如何《いか》なる問題でも、之《これ》を吸収消化せずという事なく、常に渾身の努力を挙げて、その研究にかかった。就中《なかんずく》彼が畢生《ひっせい》の心血を濺《そそ》いだのは心霊問題で、之《これ》が為めには、如何《いか》なる犠牲をも払うことを辞せなかった。彼が多忙な生活中に、閑を割いて面会を遂げた政治界、貴族社会、学会、文学界、芸術界等の大立物のみでも幾百千という
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