ち》その司配霊イムペレエタアの告ぐる所によれば、同僧院にモーゼスを連れて行ったのは、霊達の仕業で、後年霊媒としての素地を作らしむる為めであったとの事である。
 二十三歳の時帰国して学位を受け、やがて牛津《オックスフォード》を離れたが、健康が尚お全くすぐれない為めに、医師の勧めに従って、田舎牧師たるべく決心し、アイル・オブ・マンのモーグフォルド教会に赴任した。在職中たまたま疱瘡《ほうそう》が流行して、死者続出の有様であったが、モーゼスは敢然として病者の介抱救護に当り、一身にして、牧師と、医者と、埋葬夫とを兼ぬる有様であった。その勇気と忠実と親切とは、当然教区民の絶大の敬慕を贏《か》ち得たが、健康が許さないので、一八六八年他の教区に転任した。彼は何所へ行っても、すぐれた人格者として愛慕されたのであるが、たまたま咽喉を病み、演説や説教を医師から厳禁されたので、止むなく永久に教職を擲《なげう》つこととなった。彼のロンドン生活はそれから始まったのである。
 彼がロンドン大学予備科の教授に就任したのは、一八七〇年の暮で、爰《ここ》でも彼の人格と、学力とは、彼をして学生達の輿望《よぼう》の中心たらし
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