しかに後世に残るべき、斯界《しかい》のクラシックである。日本の学会に、その真価が殆《ほとん》ど認められていないのは、甚《はなは》だ遺憾《いかん》である。が、原本はなかなか大部《たいぶ》のものであるから、爰《ここ》には単に要所|丈《だけ》を紹介するに止める。若《も》しも読者にして、ゆっくり味読《みどく》さるるならば、其《そ》の分量の少なきを憂えず、得るところ寧《むし》ろ甚《はなは》だ多かるべきを信ずるものである。
近代の霊媒の中で、モーゼスの如《ごと》き学者的経歴を有する者は、殆《ほとん》ど一人もない。彼は一八三九年に生れ、十六歳の時に、ベッドフォードの中学に学んだが、その非凡の学才と勤勉とは、早くも学校当局の間に認められ、幾度か名誉賞を与えられた。一八五八年|牛津《オックスフォード》大学に移るに及びて、其《その》英才はいよいよ鋒鋩《ほうぼう》を現したが、過度の勉強の為めにいたく心身を損ね、病臥《びょうが》数月の後、保養のために大陸を遍歴すること約一年に及んだ。その中六ヶ月はマウント・アソスの希臘《ギリシア》僧院で暮らし、専《もっぱ》ら静思《せいし》休養《きゅうよう》につとめた。後《の
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