近代の天啓と古代の天啓とは同一か?』
[#ここで字下げ終わり]
天啓は皆同根[#「天啓は皆同根」に白丸傍点]――天啓は皆《みな》神から出る。或《あ》る時代に現れた啓示と、他の時代に現れた啓示との間に、矛盾衝突のある筈はない。すべては皆《みな》真理の啓発を期図《きと》したものに外ならぬ。が、人間の要望と、能力とには多大の相違があるので、真理を盛れる形式は、必ずしも同一ということはできぬ。両者が矛盾するが如《ごと》く見ゆるのは、少しも神の言葉にあるにあらずして、皆《みな》人間の心にあるのである。神の言葉は常に単純である。人間はこれに満足することができず、或《あるい》は注釈を以《もっ》てこれに混ぜ、或《あるい》は推理推論を以《もっ》て之《これ》を包んだ。かくて歳月の経過と共に、神より出でしものが、いつしかその本来の面目を失い、矛盾、撞着《どうちゃく》、虚妄、愚劣の不純分子を以《もっ》て充たさるるに至った。かるが故に、新たなる啓示が出現した時には、先《ま》ず以《もっ》て、旧《ふる》い啓示の上に築き上げられた迷信の大部分を掃蕩《そうとう》するの必要に迫られる。先《ま》ず以《もっ》て破壊した後で
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