底|詐《いつわ》り難きは、各自に備わる人品であり風韻《ふういん》である。果実を手がかりとして、樹草の種類を判断せよとは、イエス自身の教うる所である。刺《とげ》のある葡萄《ぶどう》や、無花果《いちじく》はどこにもない。われ等が、果して正しき霊界の使徒であるや否やは、われ等の試むる言説の内容を以《もっ》て、忌憚《きたん》なく批判して貰いたい。
 これ以上、われ等は此《この》問題《もんだい》にかかり合っているべき勇気を有《も》たない。われ等の使命は、地上の人間の憐憫《あわれみ》を乞うべく、あまりにも重大である。われ等の答が、まだ充分腑に落ちかぬるとあらば、われ等はわれ等の与うる証明が、得心のできる日の到来を心静かに待つであろう。われ等は断じて、今直に承認を迫るようなことはせぬ……。
 われ等がここで是非指摘したいのは、現世人に通有の一つの謬想《びゅうそう》である。人間はしきりに各自見解に重きを置こうとするが、われ等の眼から観れば、そうしたものは殆《ほとん》ど全く無価値である。人間の眼は、肉体の為めに蔽われて、是非善悪を審判する力にとぼしい。霊肉が分離した暁《あかつき》に、この欠陥は初めて大い
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