を強調する必要を感じた場合とかには、当事者が親《みずか》ら筆を執るのであった。
『但し、本書に収録された通信は、全部がイムペレエタアから出発し、そしてレクタアがその写字生をつとめたものである。他の場合、殊《こと》に通信の後期五年間に於《おい》ては、一団の霊達が各自自分の書体で通信を寄越《よこ》した。
『通信を受取る時の状態は種々雑多《しゅじゅざった》であった。通則としては私が周囲と絶縁することが必要で、私の心が受身になればなるほど、通信が容易であった。最初は筆の運びが難渋であったが、間もなく器械的運動が勝を占め、一頁又一頁と、苦もなく書き綴られるようになった。
『最初|此等《これら》の通信を、スピリチュアリスト紙に発表するに当り、通信者達は全部に修正を施したが、内容の実質には、少しの変化もなかった。爰《ここ》に発表したものには全部個人関係の通信が省かれて居る。従って、最も力強く印象の深い部分が、自然除外されたことになったが、これは如何《いかん》ともすることができない。活字に附《ふ》せられたものは、未発表の部分の単なる標本として之《これ》を取扱い、他日《たじつ》全部公開の機会の到来を待つ
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