より外に途《みち》がない。
『私自身の観念が、果してこの通信に加味されているか否かは、興味ある研究課題である。私としては、その防止に全力を尽した。最初は筆記が遅く、肉眼で文字を見送る必要があったが、それでも、盛られた思想は、決して私の思想ではなかった。間もなく通信の内容は、全部私の思想と正反対の性質を帯びるに至った。が、私は依然《いぜん》警戒を怠らず、書記中に他の問題に自分の考を占領させるべく努め、難解の書物を繙《ひもと》いて、推理を試みつつあったが、それでも通信は、何の障害なしに、規則正しく現れた。斯《こ》うして書いた通信の枚数は沢山だが、それで少しも修正の必要なく、文体も立派で、時に気焔万丈《きえんばんじょう》、行文《こうぶん》の妙を極むるのであった。
『が、私は私の心が少しも利用されないとか、私の精神的素養が、少しもその文体の上に影響を与えないとか主張するものではない。私の観る所によれば、霊媒自身の性癖が、たしかに此等《これら》の通信の中に見出されると思うが、これに盛られた思想の大部分は、全然私自身の平生の持論、又は信念とは没交渉であるばかりでなく、幾多の場合に於《おい》て、私の
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