。神につきての人間の知識は、永久に完全でない。人間はただ一歩一歩神に近づいて行くまでである。
 かるが故に、心から真理を求むる人士のみが、神に関するわれ等の示教を受け容れることができる。一部の人士は、自分たちが完全なる知識の所有者であると空想する。われ等はそれ等に対して、言うべき何物も有《も》たない。われ等が手を加える前に、彼等は前以って神に関し、又啓示に関して、自己の無学であることを学ばねばならぬ。われ等の述ぶる千語万語も、かの無知、自己満足、及び独裁主義の金城鉄壁を貫通する見込はない。それ等の人物は将来に於《おい》て、苦痛と悲哀の高き代償を払って、彼等の霊的進歩を妨ぐる先入主《せんにゅうしゅ》と、偏見とから脱却せねばならない。われ等は汝の心眼が、これまでの説明で、多少開けて居ると信ずるから、以下進んで啓示の性質につきての解説を試みることにする。
 すでにのべた通り、バイブルは、各時代時代に、人間に下されたる神の啓示の集録である。全体を流貫する精神、骨髄には[#「骨髄には」は底本では「骨髄にに」]何の相違もないが、いつもその時代の人間が把握し得る程度の真理しか漏らしていない。時代を離
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