切のデモ教団を斥け、又啓示に盲従することの愚を諭す等、正に至れり尽せりと言ってよい。しかも少しもあせらず、押売りせず、悠々として人智の発達を待とうとする高風《こうふう》雅懐《がかい》は、まことに見上げたものである。私は心からこの章の精読を皆様におすすめしたい。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

      第九章 啓示の真意義

[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
問『キリストの神性、並《ならび》にその贖罪に対する信仰が、果して一片のドグマに過ぎないであろうか? 御教訓が高尚で、合理的で、純潔であることに異論はないが、あまりにもキリスト教の趣旨と、相容れない点が多くはないであろうか?』
[#ここで字下げ終わり]
 経典病の弊害[#「経典病の弊害」に白丸傍点]――汝の疑惑は、よくわれ等に理解し得る。前回に説ける所は、単なる輪廓に過ぎなかったから、今回は少し立ち入りて説明を施すことにしよう。
 所謂キリスト教の正統派というのは、左の諸点を唱道する人達である。曰く三位一体の一位が選ばれたる人々を通じて、真理を人間界に伝えるのであるから、その教は完全円満、永遠不朽に伝うべきで
前へ 次へ
全104ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浅野 和三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング