れは或《あ》る程度、人間的|誤謬《ごびゅう》によって歪められない訳には行かぬ。いかなる啓示も、絶対的純一物でない。かるが故に、或《あ》る時代に現れたる啓示が他の時代に現れたる啓示と、全然符合しないと言って、必ずしもその一つを異端視する訳には行かぬ。事によると両者とも正しく、ただそれぞれ別箇の適用性を有するのかも知れぬ。すべてはただ純正推理の規準に拠りて、取捨選択を加えればよい。道理が許せば之《これ》を採り、道理が許さねば之《これ》を棄てる――ただそれ丈である。若《も》しもわれ等の述ぶる所が時期尚早で、採用を憚《はばか》るというなら、しばらく之《これ》を打ちすてて時期の到るを待つがよい。必ずやわれ等の教訓が、人類の間に全面的承認を受くる時代が早晩到来する。われ等は決してあせらない。われ等は常に人類の福祉を祈りつつ、心から真理に対する人類の把握力の増大を祈願して居るものである。
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(評釈) 霊訓中でも、この一章に説く所は、特にすぐれた暗示、すぐれた示唆に富んで居る。贖罪説の迷妄を説き、天則の厳守をすすめ、守護霊の存在を教え、永遠の向上進歩を叫び、人気取りを生命とする一
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