うわく》するのは、われ等の使用する大切な機関――霊媒の頭脳が、神学上の先入的偏見に充塞《じゅうそく》され、われ等の思想を伝えるのに、多大の困難を感ずることである。これが為めにわれ等は、しばしば長大息を禁じ得ぬ。
 次にわれ等の教に反対する者の中で、最も取り扱い難《にく》いのは、実にかの似而非《えせひ》科学者である。彼等は自分自身の媒体を通じてのみ事物を観察し、そして自分自身の条件によりてのみ、事物を評価せんとする。彼等の求むる所は、真理そのものではなく、いかにして霊界人が詐欺漢であり、又いかにして、それが分裂せる頭脳の一断片であるかを証明せんとするかにある。その曇れる眼、その歪める頭脳は、到底われ等の侶伴《りょはん》たるに適しない。彼等には、他界との交通の神秘を会得すべき心の深みがない。少数の科学者中には、われ等の提示する現象的方面に、注意を払うことを辞せないものも居るが、そはわれ等の事業の中心眼目ではない。われ等の伝えんとするものは、主として魂と魂の交渉であり、又死後に於《おい》て魂の辿るべき宿命の問題である。多年物理学的諸現象の考察にのみ従事せる人達の頭脳は、この種の問題の研究には
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