した暗示、ちょっとした誘惑にも容易に動かされる。よしそうした劣情が、実際的に惹起《じゃっき》されるまでに至らなくとも、兎に角人々の道徳的均衡が覆されて居るのは、甚《はなは》だ危険である。平静と沈着とは、悪魔を防ぐ為めの大切な楯で、一たんそれに隙間ができれば、未発達な悪霊どもが、洪水の如くそこから浸入する虞《おそれ》がある。
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問『然《しか》らば国家の大祭日、国民的記念日等も有害か?』
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祭日の悪用[#「祭日の悪用」に白丸傍点]――必ずしも有害とは言わぬ。すべては祭日に処する人間の態度如何にかかる。羽目を外した昂奮、則を越えた置酒高会《ちしゅこうかい》、動物的な慾情の満足――人間がこれに走れば、勿論《もちろん》祭日は有害である。しかしこれは祭日や、記念日が悪いのではなくて、これに臨む人間の用意に欠くる所があるのである。若《も》しも人々が国家の大祭日に当りて、肉体の休養と精神の慰安とに心を用いるなら、凡そ天下にそれほどよきものはないのであろう。過度の労役の為めに消耗せる体力が、心地よき安静によりて完全に本復せる時、はげしき
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