《おい》てめいめい異《ちが》った見解を有《も》っている。真に迷霧《めいむ》が覚めるのは肉の眼が閉ずる時、換言すれば、地上生活が終りを告げる時で、そこで初めて地上の教会、地上の神学の偽瞞に気がつき、大至急訂正を試みることになるのである。進歩性の霊魂は、決して呉下《ごか》の旧阿蒙《きゅうあもう》ではない。かの頑冥不霊《がんめいふれい》な霊魂のみがいつまでも現世的迷妄の奴隷として残るのである。
 記せよ、真理は決してある特殊の人間、ある特殊の宗教の特権でも何でもない。真理は古代ローマに於《おい》て、鋭意肉の解放を企求した、アテノドーラスの哲学の中にも見出される。又真理は来世の存在を確信して、地上生命の棄却を意としなかった、アツポクタスの言説の中にも見出される。又真理の追窮《ついきゅう》は、かのブローテイナスをして、早くも地上生活中に、よく超現象の世界に遊ばしめ、更に真理の光明は、かのアレッサンドロ・アキリニイをして、よく烈々として、人を動かす熱語を吐かしめた。かるが故に、此等《これら》の霊界居住者達は、今や互に共同一致して真理の宣揚、顕幽一貫の神霊主義的運動の為めに、かくは汝を交通機関として
前へ 次へ
全104ページ中101ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浅野 和三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング