の場合に、ラジオに故障を生ずると同様であろう。これと同時に霊媒の方でも、常に最大の注意と節制とを守るのが必要で、どんな天分の優れた人物でも、一たん堕落したが最後、碌な働きはできなくなるに決っている。『肉体が健全で[#「肉体が健全で」に白丸傍点]、感覚が鋭敏で[#「感覚が鋭敏で」に白丸傍点]、その上心が受動的[#「その上心が受動的」に白丸傍点]』――まことに困難な註文であるが、実際それでなければ、完全に顕幽の境を突破して、百代に光りかがやくような優れた通信、優れた現象は獲られそうもない。断食に対する注意なども、非常に穏当な意見である。バラモン式の難行苦行が、寧《むし》ろ百弊《ひゃくへい》の基であることは、私自身の経験から言っても動かし難いところである。日本にはまだそうした僻見《へきけん》の捕虜となっているものが、なかなか多いらしいから、特にこの一章の精読を希望して止まぬ次第である。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

      第六章 夫婦関係

[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
問『夫婦の関係は、死後永遠につづくか?』
[#ここで字下げ終わり]
 趣味と能力[#「趣味と能力」に白丸傍点]――夫婦関係が永続すると否とは、全然趣味と能力とが、均等に発達しているか否かにかかっている。若《も》しも右の二つが揃って居れば、死後の夫婦は互いに[#「互いに」は底本では「亙いに」]手を携えて、向上の途《みち》を辿ることができる。少くともわれ等の境涯に見出さるる一対の男女は、趣味と能力とが一致して居《お》り、互いに扶け合いつつ、進歩の階段を上昇することのできる人達である。われ等には霊的教育がすべてである。従って進歩の所縁《よすが》となるべき関係以外は、全然その存在を認められない。かの徒《いたず》らに地上生活を陰惨《いんさん》ならしめ、徒《いたず》らに魂の発達を阻害する人為的束縛は、肉体の消滅と同時に、跡方もなく断絶する。之《これ》に反して、魂と魂との一致によりて堅く結ばれたる夫婦関係は、肉体の羈絆《きはん》を脱した暁《あかつき》に於《おい》て、更に一層の強度を加える。二つの魂を包囲する愛の絆《きずな》こそは、相互の発達を促す最大の刺戟であり、従って両者の関係は永遠に伝わって行く。それは過去に於《おい》て、たまたま両者の間に関係があった為めというよりも、寧《むし》ろ
前へ 次へ
全52ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浅野 和三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング