なかに多い。
 例えば社会の治安を目的とする法律にしても、そはあまりに、違反者の制裁にのみ偏する傾向があると思う。法律は懲罰的であると同時に、救治的であらねばならぬ。然《しか》るに現代の法律が、霊媒に対する罰則の如《ごと》きは、何という不合理を極めたものであろう。幽明交通者の中には、勿論《もちろん》良いのも悪いのもある。良いものは、これに保護奨励を与うべきである。悪いものは、これを適当に感化誘導して、正に帰《き》せしむべきである。然《しか》るに何等《なんら》玉石を顧みることなく、霊媒の全部を精神異常者と見做《みな》して、懲罰を加えんとするに至りては、愚にあらずんば正に冒涜である。われわれの側から観れば、かの堕落せる酔漢の類こそ、不良霊媒以上の精神異常者である。彼等が出入する不潔な場所こそは、字義通りの魔窟であって、そこには最劣最悪の不良霊連が、彼等酔漢の躯《からだ》に憑り、鬼畜にひとしき堕落行為に出《い》でしむるのである。これが文明の汚点でなくて何であろう。然《しか》るに現代の法律は、平然として此等《これら》酔漢に対して、一指を染めようとしない。
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問『酔漢の躯《からだ》に憑るとは何の意義か?』
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 悪霊の憑依[#「悪霊の憑依」に白丸傍点]――地縛の霊魂は、依然として彼等生前の情慾と、性癖の大部分をそのまま保有して居る。彼等の体的欲望は、毫《ごう》も消えた訳ではないが、ただその欲望を満足せしむべき機関がない。そこが彼等の大いに煩悶《はんもん》焦慮《しょうりょ》する点である。凡《およ》そ世に充たされざる渇望ほどつらいものはない。で、彼等は何とかしてこの苦痛を医《いや》すべく、昔|馴染《なじみ》の魔窟に出入して、恰度《ちょうど》自分に誂向きの犠牲者を捜し出し、人知れずその体内にくぐり込んで、酒色の慾を満足せんとするのである。即ち外面的に観れば、それは人間の乱行であるが、内面的に観れば、それは地縛の悪霊の跳躍なのである。地縛の霊は、斯《か》くして享楽の二度の勤めをする。かかる悪霊の犠牲になった人間は、勿論《もちろん》ただ堕落の一路を辿り、一歩一歩、ぬきさしならぬ泥濘《でいねい》の深みにはまり込んで行く。その間彼のあわれなる妻子は、飢えたる腹をかかへて、言い知れぬ悲嘆の泪に暮れるばかり、守護の天使とても、境涯
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