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問『いかなる種類の人が最も理想に近いか?』
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 真の仁者[#「真の仁者」に白丸傍点]、真の哲人[#「真の哲人」に白丸傍点]――真の仁者とは、いつもその同胞の幸福と進歩とに、貢献すべく心懸けて居る、まことの人物、まことの神の子である。又《また》真の哲人とは、知識の為めに知識を愛する、これも亦《また》まことの人物、まことの神の子である。前者は人種、土地、教理、名称等の相違に留意することなく、その博大なる胸裡《きょうり》に、地上一切の人類を包擁《ほうよう》せずんば止まぬ。彼は対者の意見などには頓着せぬ。彼はただ対者の欠陥を察し、これに智慧の光を注ぐことを以《もっ》て、畢生《ひっせい》の念願とする。それが真の仁者である。が、世には往々《おうおう》仁者の偽物がある。それ等は自己に迎合《げいごう》阿附《あふ》する者のみを愛し、これに金品を与えて虚名《きょめい》を博すべく努力する。
 それから真の哲人――彼は決していかなる学説にも捕われない。又いかなる宗教宗派のドグマにも拘泥しない。そしていやしくもそれが真理であり、科学的の事実でさえあれば、一切の先入的偏見を排除して、千万人といえども吾《われ》行かんの概《がい》を以《もっ》て、宇宙間の隠微《いんび》を探るべく勇往邁進する。無上の幸福、無上の満足がその間に湧き出る。天地間の宝蔵は無限であるから、彼は毫《ごう》も材料の枯渇を患《うれ》うるには及ばない。汲めども尽きぬ智慧の泉、採れども尽きぬ思想の宝、世にも幸福なるは、まことの哲人の生涯である。
 以上二つの結合――仁者と哲人との結合こそは、正に完全人の典型である。両者を兼ねるものは、その一方のみで進む者より、遥かに進歩が迅速である。
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問『生命は永遠?』
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 永遠の生命[#「永遠の生命」に白丸傍点]――然《しか》り、われ等は何れの方面から考えても、しか信ずべき理由を有《も》つ。が、生命にはたしかに二つの階段がある。外でもない、それは向上[#「向上」に傍点]と黙想[#「黙想」に傍点]との二つである。われ等はまだ向上の途中に在る。われ等は地上の人間が想像する以上に、奥へ奥へ奥へと、生命の階段を昇るべく努力しつつある。従ってわれ等は、まだ黙想の生活につきては何事をも知らない。が、恐ら
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