く向上進歩の最極限に到達した、遠い遠い無限の未来に於《おい》て、われ等が過去世の一切から離れ去り、天帝の真光に浴しつつ静かに黙想の生活に入る時が、ないではあるまいかと思う。それにつきては、われわれは何事も言えない。それは余りにも高きに過ぎる。地上の人間として、そこまで考えようとするのは、蓋《けだ》し早きに失する。地上人として関心を有するのは、無限の生命のホンの入口――死及び死後の生命の問題で、奥の院の問題ではない。
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問『あなたは地上に居た時よりも、神に就《つ》きて多くを知るか?』
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 神の働き[#「神の働き」に白丸傍点]――われ等は、地上生活中に於《お》けるよりも、遥かに多く神の働きにつきて知ることができた。死後の世界に於《おい》て、一つ一つ階段を登るにつれて、より多く神の愛、神の智慧の無量《むりょう》無辺際《むへんさい》であることが判って来たのである。が、われ等の神につきての知識は、それ以上には出《い》でない。今後に於《おい》ても、最後の黙想の生活に入るまでは依然としてこの状態にとどまるであろう。要するに、神はその働きによりてのみ知られるに過ぎない。
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問『善と悪との戦、その他につきて教を受けたい。』
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 非命の死と罪悪[#「非命の死と罪悪」に白丸傍点]――地の世界には、週期的に争闘が起るものであるが、霊的眼光を以《もっ》てこれを考察すれば、畢竟《ひっきょう》それは善悪の霊と霊との争闘である。すべて世の乱れるのは、未発達なる霊魂の数が不釣合に多くなった時で、従って大きな戦争の直後は、人心の悪化が、特に目立ちて強烈である。他なし、多くの霊魂が無理に肉体から引き離されて帰幽するからで、つまり資格のない未熟の霊魂が、幽界に充満する訳なのである。しかもそれ等の霊魂は、死の瞬間に於《おい》て忿怒《ふんぬ》に充ち、残忍性に充ち、まるで悪鬼《あっき》夜叉《やしゃ》の状態に置かれて居る。そんなのが、死後の世界から人間世界に働きかけて、いつまでも禍乱《からん》の種子を蒔く。
 一体霊魂が、無理矢理にその肉体から引き離され、激情と憎念とに充ちたままで、幽界生活に突入するほど危険なことはない。天寿を全うすることは、大自然の原則である。玉の緒は、決して人力
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