なければ、新しき真理の建設が不可能ということになる。天啓そのものに撞着《どうちゃく》はない。ただ真理を包める人為的附加物《じんいてきふかぶつ》は、之《これ》を除去せねばならぬのである。その際《さい》人間は、飽《あく》まで己れに内在する理性の光りで、是非の判断を下さねばならぬ。理性こそ最高の標準である。愚なる者、僻見《へきけん》に富める者が、いかに排斥するとも、向上心にとめる魂は、よく真理を掴み得る。神は決して何人にも真理を強いない。従って準備的|黎明期《れいめいき》に於《おい》ては、必然的に特殊の人間に対する、特殊の啓示を出すことになる。昔に於《おい》てもそうであったが、現代に於《おい》てもそうである。聖者モーゼスは、果して自国民族からさえも一般的承認を獲《え》たか? 昔の予言者達は、果して世に容《い》れられたか? イエスは何《ど》うか? ポーロは何《ど》うか? いかなる時代のいかなる改革者が、大衆の喝采を[#「喝采を」は底本では「喝釆を」]博したか? 神は変らない。神は常に与える。が、しかし決して承認を強要しない。無智なる者、資格なき者は之《これ》を排斥する。それは当然である。異端邪説があればこそ、爰《ここ》に初めて真人《しんじん》と、偽人《ぎじん》との選り分けができる。それ等は皆《みな》不純なる根源から出発し、常に悪霊から後押しされる。魔軍の妨害は常に熾烈《しれつ》であると覚悟せねばならぬ。が、汝《なんじ》は須《すべか》らく現代を超越し、目標を遠き未来に置いて、勇往邁進《ゆうおうまいしん》せねばならぬ。
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問『霊界の指導者はいかに選ばれるか?』
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指導霊の性質[#「指導霊の性質」に白丸傍点]――指導霊と、その指導を受くる人物とは、通例ある不可分《ふかぶん》の因縁関係を以《もっ》て結ばれている。が、時にその例外がないでもない。或《あ》る霊は、人間の指導が巧みである為めに特に選抜される。或《あ》る霊は、特殊の使命を遂行すべく特派される。或《あ》る霊は、一人物の性格上の欠陥を補充すべく、特にその人に附《つ》けられる。又|或《あ》る霊は、理想型の人間を造るべく、自から進んで現世に降《くだ》ることもあるが、これは高級霊にとりて、特に興味ある仕事である。時とすれば又霊界の居住者が、自分自身の修行の為めに、求
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