要する。時とすれば、その目的が地上生活中には達せられぬかも知れない。神は一切を試練する、そして資格のある者にのみ智慧《ちえ》を授ける。前進の前には常に準備が要る。これは不変の鉄則である。資格が備わりてからの進歩である。忍耐が大切な所以《ゆえん》である。
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問『心の迷、実証の困難、僻見《へきけん》の跋扈《ばっこ》等をいかにすべきか? 果してこれ等《ら》の故障に打勝ち得るか?』
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 最後の必勝[#「最後の必勝」に白丸傍点]――人力は有限であるが、神力は無限である、故障とな! そうしたものは絶対に存在せぬ。われ等が過去に於《おい》て嘗《な》めたところに比ぶれば、現代の苦艱の如《ごと》きは抑々《よくよく》物の数でない。われ等の生活せるローマ帝政時代の末期――精神的、霊的のものは悉《ことごと》く影を潜めて、所得顔《ところえがお》に跋扈《ばっこ》するは、ただ酒色と、荒淫と、悪徳と、劣情……若《も》し汝《なんじ》にしてその実情に接触せんか、初めて闇の魔群の、いかに戦慄すべき害毒を人間界に流し得るかを会得したであろう。身を切る如《ごと》き絶望の冷たさ、咫尺《しせき》を弁ぜぬ心の闇、すべてはただ人肉のうめきと、争いとであった。さすがに霊界の天使達も、一時手を降すの術《すべ》なく、覚《おぼ》えず眼を掩《おお》いて、この醜怪なる鬼畜の舞踊から遠ざかった。それは実に無信仰以上の堕落であった。すべてが道徳を笑い、天帝を嘲《あざけ》り、永生を罵《ののし》り、ひたすら汚泥の中に食い、飲み、又溺れることを以《もっ》て人生の快事とした。その形態は正《まさ》に人間であるが、その心情は、遥《はる》かに動物以下であった。それでも神は、最後に人類をこの悪魔の手から救い出したではないか! これに比すれば、現代の堕落の如《ごと》きは、まだまだ言うに足りない。神と天使の光が加わるに連れて、世界の闇は次第に薄らいで行くであろう。
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問『人類の無智と頑陋《がんろう》との為めに、啓蒙事業は幾回か失敗の歴史を遺して居る。今回も又その轍《わだち》をふまぬか?』
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 真人の出現[#「真人の出現」に白丸傍点]――神の恩沢《おんたく》は汝の想像以上である。今や世界の随所に真理の中心が創設せられ、求む
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