》の通信の現れた形式などは、深く論ずるにも足りないであろう。その価値を決するものは、主としてその内容如何である。それは果して宇宙人生の目標を明かにし、永遠不朽の真理を伝えているか否か?……恐らく多数人士にとりて、此等《これら》の通信は全然無価値であろう。何となれば、その中に盛られた真理は、彼等には真理でないからである。他の一部の人達にとりて、此等《これら》の通信は単に珍らしいものというにとどまり、又或る人達の眼には、単なる愚談と映《えい》ずるであろう。私は決して一般の歓迎を期待して、本書の刊行をするものではない。私はただ本書を有益と考えられる人達のお役に立てば、それで満足するものである。』
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以上モーゼスの述べた所によりても明白である通り、『霊訓』中に収められてあるのは、原本の一部分に過ぎない。近年『霊訓』続篇が出版されたが、これも一小部分である。原本の大部は、目下《もっか》英国心霊協会に保存されて居る。
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第一章 幽明の交通とその目途
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問『現代はいかなる時か?』
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新時代の黎明[#「新時代の黎明」に白丸傍点]――格別の努力が、今や真理の普及に向って払われつつある。が、一方に神の使徒達の努力が加わると同時に[#「同時に」は底本では「同蒔に」]、今も昔と同じく、他方に於《おい》てこれに反抗する魔群がある。世界の歴史は畢竟《ひっきょう》、善と悪との抗争の物語である。一方は光、他方は闇、この戦は精神的、並に肉体的の、あらゆる方面に向って行われる。無論両者の争闘《そうとう》は、時代によりて消長《しょうちょう》を免れないが、現在はその最も激しい時代である。神の使徒は、今やその威力を集結して戦に臨んでいるので、人間社会はこれが為めに影響せられ、心霊知識、その他の普及となりつつある。道に反く者、心の弱き者、定見なき者又単なる好奇心で動く者は、禍《わざわい》なる哉《かな》である。真理を求むる者のみが、大盤石《だいばんじゃく》の上に立って居る。
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問『いかにして真理を掴むか。』
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心の準備[#「心の準備」に白丸傍点]――真に求むる者にして、最後に真理を掴まぬものはない。但しそれには多大の歳月を
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