的なヴェネチアは、彼が散歩をしながらだの、カッフェに休んでゐる間だのに取つたさまざまなノオトの間から、まるで新しい歌のやうに聽えてくるのである。
後年、ニイチェは「この人を見よ」のなかに當時を囘想しながら、かう書いてゐる。「一體私は音樂にいかなるものを欲してゐるかに就いて、最も選ばれたる讀者諸君のために一言したい。音樂は、十月の午後のやうに快活にして深いものであること。それは獨得で、奔放で、そして柔軟であり、可憐なる少女のごとく狡くてしかも優雅であること。……由來、獨逸人のごときものに音樂の何たるかが解せられようとは私は思ひも及ばぬ。獨逸音樂家と稱せられてゐるものは、ことにそのうちの最も偉大なるものは、外國人である。スラヴ人か、墺太利人か、伊太利人か、和蘭人か、――或は猶太人である。さもなくば、ハインリヒ・シュッツやバッハやヘンデルのごとき優秀なる種族、今日では既に亡びたる種族の獨逸人である。私自身は、ショパンのためになら他のあらゆる音樂を犧牲にしてもいいと思ふほど、自分が充分に波蘭土人であることを感じてゐる。私は三つの理由からワグネルの「ジイグフリイド牧歌」を例外としたい。又、その
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