住んでゐた。そこから聖マルコ寺院までは、埃のない、日蔭の多い、もの靜かな通りを、三十分位で散歩して來られた。ニイチェの大好きであつたヴェネチアの日蔭、――それは彼のその時書いてゐた本「曙光《モルゲンレエテ》」が長いこと「ヴェネチアの日蔭」(Ombra di Venezia)といふ題をつけられてゐたほどであつた。彼の生活は細心に規則的であつた。毎朝七時か八時頃から仕事にとりかかる。それから散歩と粗末な食事。二時過ぎになると、友人のぺエタア・ガストがやつて來る。このぺエタア・ガストといふ男は、バアゼル大學時代からのニイチェの教へ子で、いまは作曲家を志してゐる。ニイチェをヴェネチアに招んだのはこのガストであるが、いまはもうこの男だけがニイチェの忠實な友人であり、原稿の淨書やら、口授筆記やら、病氣の世話やら、何から何まで面倒を見てやつてゐる。そのガストが暫らく一緒にゐてから歸ると、又改めて七時半まで仕事をする。すると再びガストがやつて來て、夕食を共にする。ときには半熟の卵と水だけですましてしまふこともある。それから大概、一緒にガストの家に行つて、代る代るピアノを彈き合ふ。ニイチェは自分で作曲し
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング