Ombra di Venezia
堀辰雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)曙光《モルゲンレエテ》

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(例)※[#二の字点、1−2−22]
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 きのふからギイ・ド・プウルタレスの「伊太利に在りし日のニイチェ」といふ本を讀み出してゐる。忠實な傳記ではないかも知れないけれど、なかなか面白い。いま讀んでゐるところは、ニイチェが三十六七の時、獨逸を去つてはじめて伊太利に赴き、先づ最初ヴェネチアに滯在してゐた頃(一八八〇年三月―六月)の有樣を敍した一章であるが、ここに描かれてゐるニイチェの姿には、これまであまりにも屡※[#二の字点、1−2−22]ニイチェといふ名の下に描かれてゐるディオニソス的な人間とはかなり相違した、ずつと我々には親しみ深く思はれるものがある。私はさういふヴェネチアにおけるニイチェの姿をプウルタレスから少し抄して見よう。――
 ヴェネチアでは、ニイチェは、あるバロック式の古い館の、大理石を敷きつめた大きな室の中に住んでゐた。そこから聖マルコ寺院までは、埃のない、日蔭の多い、もの靜かな通りを、三十分位で散歩して來られた。ニイチェの大好きであつたヴェネチアの日蔭、――それは彼のその時書いてゐた本「曙光《モルゲンレエテ》」が長いこと「ヴェネチアの日蔭」(Ombra di Venezia)といふ題をつけられてゐたほどであつた。彼の生活は細心に規則的であつた。毎朝七時か八時頃から仕事にとりかかる。それから散歩と粗末な食事。二時過ぎになると、友人のぺエタア・ガストがやつて來る。このぺエタア・ガストといふ男は、バアゼル大學時代からのニイチェの教へ子で、いまは作曲家を志してゐる。ニイチェをヴェネチアに招んだのはこのガストであるが、いまはもうこの男だけがニイチェの忠實な友人であり、原稿の淨書やら、口授筆記やら、病氣の世話やら、何から何まで面倒を見てやつてゐる。そのガストが暫らく一緒にゐてから歸ると、又改めて七時半まで仕事をする。すると再びガストがやつて來て、夕食を共にする。ときには半熟の卵と水だけですましてしまふこともある。それから大概、一緒にガストの家に行つて、代る代るピアノを彈き合ふ。ニイチェは自分で作曲し
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