ァル、又、一方がギリシャ語をやりだすと、一方はラテン語といふ風な相違はあるが。
或る夏、輕井澤でふたり揃つて自轉車の稽古をはじめたことがある。僕の家に遊びにきてゐても、自轉車があいてゐると、どつちか一人はかならず庭でその稽古をはじめる。中村はそんなスポルティフな事はぶきつちよさうなので、福永のはうがうまくなるかと思つてゐたら、反對に中村の猛練習が功を奏して、先きに乘れるやうになつてしまつた。それを見ると、福永はそれつきり自轉車は斷念したやうだつた。――そのとき一番ひどい目に逢つたのは、僕の妻の自轉車だつたらう。二人のおかげで、すつかりハンドルが曲がり、ペタルが踏みにくくなつてしまつたと言つて、こぼしてゐた。(まあ、けちなことはいふな。)
その福永も、フランスやアメリカの小説に通じてゐることでは、中村の先輩格らしい。新しいものなら大抵讀んでゐるだらうとおもふ。ジュリアン・グリインやジャン・ポオル・サルトル、それからウイリアム・フォオクナアあたりの小説を好んでゐるといへば、福永の好みがどんなものか、分かる人にはすぐ分かるだらう。
さうして福永も、中村同樣、數年前から大じかけな小説をは
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