ェら、眠る前にその出版者キッペンベルクにその完成を知らせてやった手紙には甚だ人の心を打つものがあるが、その一節に曰《いわ》く、「……私は冷たい月光の中に出て行きました。そして小さなミュゾオを大きな獣のように愛撫してやりました……かかるものを私に授けてくれた、その古い壁を。それからまたあの破壊されたドゥイノをも。」(ドゥイノは大戦中に伊太利軍のために破壊された。)
 それから数日と立たない裡《うち》に引続いて又、その支流とも云うべき小さな作品が殆ど求めずして出来た。「オルフォイスに捧ぐるソネット」と呼ばれる五十余篇のソネットがそれである。
 それまでもとかく健康のすぐれなかったリルケは、その仕事の過労のためにいよいよ健康を損《そこ》ねてゆき、その後殆どそのミュゾオに居ついたまま、僅かな詩作と、二三の翻訳をしたくらいで、遂に一九二六年十二月の末に死んで行った。死んだのは、しかし、その愛するミュゾオではなく、発病後|強《し》いて移されたレマン湖畔のモントルウの療養所である。
 病名は壊血症というものだそうだが、その病気の直接の原因になったと云われる、いかにもリルケの最後らしい、美しい挿話《そ
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