沛《ここ》こそ自分の求めている場所と信じて、その町の一つのシェルに暫く滞在し、附近を捜しまわったがそれも空《むな》しく、とうとうその町をも立ち去ろうとする間際になって、偶然或る飾窓に売物に出ている一つの塔の写真を認めた。それは彼の或る友人の寝台の上の壁に以前から掛っていた絵の中の古い館《やかた》だった。そしてそれがミュゾオだったのである。それを彼はその同じ友人の世話によって漸く手に入れることが出来た。  

      *

「恐ろしい山々の荒漠たる風物の中に全く孤立せる小さな館。……私はこれまでかかる孤独な存在、かかる沈黙との極度の親密を想像だに出来なかった。親愛なるリルケよ、あなたは純粋時間の中に閉じ籠《こも》っているように私に思えた……」と、その頃|其処《そこ》を訪れたポオル・ヴァレリイは書いている。
 翌年の二月である。十年前の、一九一二年ドゥイノにて着手せられ、一九一四年以来殆ど全く中絶していた「ドゥイノ悲歌」は遂にそのシャトオ・ド・ミュゾオにおいて完成せられた。しかもそれは僅か二三日で出来上ったのである。
 それを書き上げた夜半、リルケはもうペンを握る力もない位に疲労しな
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