と眺められた。
 守《かみ》は、すこし微醺《びくん》を帯びたまま、郡司《ぐんじ》が雪深い越《こし》に下っている息子の自慢話などをしているのをききながら、折敷《おしき》や菓子などを運んでくる男女の下衆《げす》たちのなかに、一人の小がらな女に目をとめて、それへじっと熱心な眼ざしをそそいでいた。他の婢《はしため》と同様に、髪は巻きあげ、衣も粗末なのをまとってはいたが、その女は何処やら由緒ありそうに、いかにも哀れげに見えた。その女をはじめて見たときから、守の心はふしぎに動いた。
 宴の果てる頃、守は一人の小舎人童《ことねりわらわ》を近くに呼ぶと、何かこっそりと耳打ちをした。

 その夜遅く、京の女は郡司のもとに招ぜられた。郡司は女に一枚の小袿《こうちぎ》を与えて、髪なども梳《す》いて、よく化粧してくるようにと言いつけた。女は何んのことか分からなかったが、命ぜられたとおりの事をして、再び郡司の前に出ていった。
 郡司はその女の小袿姿を見ると、傍らの妻をかえりみながら、機嫌好さそうに言った。「さすがは京の女じゃ。化粧させると、見まちがうほど美しゅうなった。」
 それから女は郡司に客舎の方へ伴《つ》れて往かれた。女は漸《や》っと事情が分って来ても、押し黙って、郡司のあとについてゆきながら、何か或強い力に引きずられて往きでもしているような空虚な自分をしか見出せなかった。
 守の前に出されると、ほのぐらい火影《ほかげ》に背を向けた儘《まま》、女は顔に袖を押しつけるようにしてうずくまった。
「おまえは京だそうだな。」守はそこに小さくなっている女のうしろ姿を気の毒そうに見やりながら、いたわるように問うた。
「…………」女はしかし何とも答えなかった。
 そうして女は数年まえのことを思い出した。――数年まえには、田舎上りの見ず知らずの男に身をまかせて京を離れなければならなかった自分が自分でもかわいそうでかわいそうでならなかった。そうしてそのときは相手の男なんぞはいくらでもさげすめられた。が、こんどと云うこんどは、その相手がかえって立派そうなお方であるだけに、そういう相手のいいなりになろうとしている自分が何だか自分でもさげすまずにはいられないような――そうしていくら相手のお方にさげすまれても為方《しかた》のないような――無性にさびしい気もちがするばかりだった。女にしてみると、こうして見出される
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