萩や薄などをさびしい音を立てさせていた。どうかすると、ひとしきり時雨《しぐれ》の過ぎる音がそれに交じって聞えたりした。そうでなければ、郡司の息子が、ときどき自分の怖ろしさを紛《まぎ》らせようとでもするのか、あちこちと草の中を歩きまわっていた。……
 そんな夜毎に、女は妻戸をしめ切って、ともし火もつけず、身の置きどころもないかのように、色の腿めた衣をかついだまま、奥のほうにじっとうずくまっていた。かくも荒れはてた棲《す》み家《か》では、奥ぶかくなどにじっとしていると、その儘何かの物のけにでも引っ張り込まれていってしまいそうな気がされて、女は怯《おび》え切り、殆ど寐《ね》られずに過ごすことが多いのだった。
 或しぐれた夕方、尼は女のところに来ると、いつものように沁々《しみじみ》と話し込んでいた。「ほんとうにいつまで昔のままのお気もちでいらっしゃるのでございましょう。」尼はことさらに歎息するように言った。「それは今のようにでもして居られますうちはまだしも、此のわたくしでも若《も》しもの事がございましたら、どうなさるお積りなのですか。しかし、やがてそういうときの来ることは分かっています。」
 女は数日まえのことを思い出した。――数日まえ、尼にその話をはじめて切り出されたとき、突然はっとして「自分はもうあのお方には逢われないのだ」と気づいたときのいまにも胸の裂けそうな思いのしたことを思い出した。あのときから女の心もちは急に弱くなった。それまでのすべての気強さは――畢竟《ひっきょう》、それはいつかは男に逢えると思っての上での気強さであった。――女はもう以前の女ではなかった。
 その晩、尼は郡司の息子をその女のもとへ忍ばせてやった。

 それから夜毎に郡司の息子は女のもとへ通い出した。
 女はもう詮方《せんかた》尽《つ》きたもののように、そんなものにまですべてをまかせるほかなくなった自分の身が、何だかいとおしくていとおしくてならないような、いかにも悔《く》やしい思いをしながら、その男に逢いつづけていた。
 漸《ようや》く任が果てて、その冬のはじめに近江へ帰らなければならなくなったときには、郡司の息子はもうすっかり此の女に睦《むつ》んで、どうしてもその儘女を置きざりにして往く気にはなれずにしまった。
 女はそれを強いられる儘に、京を離れるのはいかにもつらかったけれど、しかし自分の余
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