それとなく話題に上そうとでもすると、慌ててそれを他に外らせようとしたりした。しかし、女はいつかその男が才名の高い右大弁《うだいべん》の殿である事などをそれとはなしに聞き出していた。――そうやって宮に上っていても何か落ち着きを欠いている女は、里に下りて、気やすく老いた父母だけを前にしている時は、一層心も空のようにして、何か問いかけられても返事もはかばかしくなかったりした。そうして一向《ひとむき》になって何かを堪え忍んでいるような様子が、其頃から女の上には急に目立ち出していた。

 右大弁はときどき友達と酒を酌んでいる時など、ひょいとその時雨の夜の事、――それからそのとき語り合った二人の女のうちの、はじめて逢った方の女の事なぞを思い浮べがちだった。男は勿論、外にも幾たりかの女を知っていた。又、大方の女というものがどういうものであるかも知悉《ちしつ》した積りでいた。――しかし、その時雨の夜のように、何ぶん暗かったのでその女の様子なんぞよく見られなかったせいもあるかも知れないが、その女といかにもさりげなく話を交していただけで、何かこう物語めいた気分の中に引《ひ》き摩《ず》られて行くような、胸の
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