《しず》かにこんな事を語り出した。
「どうした訳ですか、私は今ふいと十七年ほど前の或晩の事を思い出しておりました。それは私が斎宮《さいぐう》の御|裳著《もぎ》の勅使で伊勢へ下った折の事です。伊勢に上っておる間、殆ど毎日、雪に降りこめられておりました。ようやく任も果てたので、その明けがた京へ上ろうかと思って、お暇乞《いとまごい》に参上いたしますと、ただでさえいつも神々しいような御所でしたが、その折は又|円融院《えんゆういん》の御世からお仕えしているとか云う、いかにも神さびた老女が居合わせて、昔の事などなつかしそうに物語り出し、しまいにはよく調べた琵琶までも聞かせてくれました。私もまだ若い身空でしたが、何んだかこうすっかりその琵琶の音が心に沁《し》み入《い》って、ほんとうに夜の明けるのも惜しまれた位でした。――それからというもの、私はそんな冬の夜の、雪なんぞの降っている晩には極まってその夜の事を思い出し、火桶《ひおけ》などかかえながらでも、かならず端近くに出ては雪をながめて居ったものでした。――そんな若い時分の事もこの頃ではつい忘れがちになっておりましたのに、今、こうしてあなた達と話し込ん
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