が云うので、その傍に女もじっと伏せていた。
 その男は、戸口の近くにそういう二人を認めると、前からの知合らしい一方の女房に向かって、非常に穏かな様子で詞《ことば》をかけた。「いまお一人はどなたですか――」などとも問うたが、女が困って何んとも返事をせずにいても、それ以上|執拗《しつよう》には尋ねなかった。そうしてそのまま二人の傍にすわりながら、そのどちらに向かってともつかず、世の中のあわれな事どもをそれからそれへと言い出して、女達にも真面目に問いかけたりするので、女もついそれに誘われて、いつか二こと三こと詞《ことば》を交わしていた。「まだ私の知らないこういうお方がいられたのですね――」などと珍らしそうに男は女の方を向いて云って、いつまでも気もち好さそうに話し込み、なかなか其処を立ち上がりそうにもなかった。
 星の光さえ見えない位に真っ暗な晩で、外にはときどき時雨《しぐれ》らしいものが、さっと木の葉にふりかかる音さえ微かにし出していた。「こういう晩もなかなか好いものですね。」男はそう云いさして、微かに木の葉にかかる時雨の音に耳を傾けながら、急に何か考え出したように沈黙していたが、それから徐
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