なすって」と少女が云うと、姉はいましがた見た夢を話した。なんでもその猫が寝ている姉の傍らに来て、こんな事を言ったのだそうだった。
「実はわたくしは侍従大納言殿の姫君の生れ変りなのでございます。前世からの因縁がありますのか、この中《なか》の君《きみ》がわたくしの事を大そう哀れがって思い出しなさいますので、只暫くの間、此処に参っておりましたのに、今のように婢たちの中にばかり押し据えられておりましては、なんともつらくてなりませぬ」――一人の品のよい、美しいお方が自分の傍で泣き泣きそんな事を云われているように思って、驚いて目を醒ますと、それはさっきから泣きつづけている猫の声だったと云う事だった。
そんな夢の事があってから、猫はもう北面へも出されずに、今までよりか一層姉妹に大事にかしずかれていた。一人ぎりでいるときなど、よく少女はその猫を撫でながら、「おまえは大納言様のお姫君ですのね。そのうちお父う様からでも大納言様にお知らせ申すようにいたしましょうね」と云いかけたりした。すると猫も、気のせいか、それを聞き分けでもするかのように、長泣きなどしながら、いつまでも少女の顔を見かえしていた。
夜なかに急に火事が起って、その三条の屋形が跡かたもなく焼けてしまったのは、その春の末の事だった。その火事と共に、大納言の姫君と思われて可哀がられていた猫もゆくえ知れずになってしまった。――ひとまず、立退いた先の屋形は、非常に狭苦しくて、木なんぞはなんにも無かった。そのかわり、隣家の生い茂った木立が目のあたりに見え、何かの花の匂などが風につれてこちらまで漂って来るにつけても、少女は昔の木立の多かった屋形を、――又、それと一しょに焼け死んだのかも知れない猫の事などを、切ない程あざやかに蘇《よみがえ》らせたりしていた。
或月あかりの夜、おおかたの人が寝しずまった夜なかまで、少女は姉と一しょに起きて、その家の端近くに出て物語などしあっていた。そのうち話もと絶えがちになって、二人は黙って空をじっと仰いでいた。
「このまま私がすうと飛び失せて、ゆくえ知れずになってしまったら、どうだろうか知ら」姉が出し抜けにそんな事を口にした。
少女はおそろしそうに顔を伏せた。穉い頃、死んだ乳母から聞かされた、女が一人ぎりで長いこと月に照らされていると物に憑《つ》かれるなんぞと云う話を急に思い出したからだった。姉は
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