そういう少女に気がつくと、わざとらしく笑いながら、何か外の事に云いまぎらわせようとした。が、少女はすっかり怯《おび》え切《き》って、いつまでも顔を袖にしていた。
 程経て、隣りの家の前に男車らしいものの駐《と》まる音がした。そうして「荻の葉、おぎの葉」と呼ばせているのが手にとるように聞えて来た。が、隣家からは誰もそれに返事をしないらしかった。とうとう男は呼びわずらったらしく、こん度は笛をおもしろく吹き出した。
 姉妹は思わず目を見合せて、ようやく明るい微笑《ほほえみ》を交しながら、なおも息をつまらせて耳を欹《そばだ》てていた。しかし、隣家からは、相不変《あいかわらず》、なんの返事も無いらしかった。男はとうとう、笛を吹き吹き、その家の前を通り過ぎて往った。――
 互に慰めもし、慰められもしたそんな一人の姉が、佗《わ》びしい仮住の家で、二番目の子を生んで亡くなったのは、それから間のない事だった。母なんぞがその死んだ姉の傍に往ってしまっている間、少女はひとりで、形見に残った穉い児たちを左右に寝かしつけていた。知らぬ間に荒れた板葺《いたぶき》のひまから月が洩れて、乳児《ちご》の顔にあたり、それを無気味に青ざめさせていた。少女はふいと前の月夜の事を思い出し、その顔へ自分の袖をかけてやりながら、いま一人の穉児《おさなご》をひしと抱き締めて、其処にいつまでも顔を伏せていた。

   二

 新しい普請の出来上った三条の屋形では、古い池と共に焼け残った藤が、今年はどういうものか、例年になく見事な花をつけた。それが一層屋形の人けの絶えたのを目立たせているような単調な日々の中で、少女は又昔のとおりに、物語を見ては、夢みがちに暮らしていた。昔風の父母は、勿論、まだこの少女を誰かにめあわせようなぞとは考えもしなかった。が、さすがに少女ももう大ぶおとなびては来ていた。
 父が或秋の除目《じもく》に常陸《ひたち》の守《かみ》に任ぜられた時には、女《むすめ》はいつか二十になっていた。女はこん度は母と共に京に居残って、父だけが任国に下ることになった。「ことによると、もうお前達にも逢えないかも知れない」――そんな心細そうな事ばかりを云っている年老いた父を一人で旅に出すのは、勿論、女には何よりもつらかった。が、すっかりおとなになった女の身としては、父と一しょにそんな田舎へ下ることも出来悪《できにく》か
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