、もう溜《た》まらなくなったように母の腕の中にとびこんで、その胸に私の顔を隠した。
「それはお母ちゃんの方が好きね?」とその母にまでそう揶揄《からか》うようにいわれると、私は急に怒ったようにはげしく首を横にふるのだった。しかしその顔を一そう強く母の何処まで広いか分からないような胸に押しつけながら……
 そして私はしばらくそうやっている裡に、いつかすやすやと寝入ってしまうのだった。

 そうやって一度寝入ってしまうと、もうめったに目をさましたことがなかったが、ただ五六遍だけ、私は夜なかにぽっかりと目をあけた。気がついてみると、まっ暗な中に私はただ一人きりで寝かされている。そのうちにあかりの洩《も》れてくる次ぎの茶の間から、父と母とが何かしきりに言い合っているらしいのが次第に耳にはいってくる。何をいさかっているのか分からないが、ときおり母が溜まりかねたように声を鋭くする。父はそれを何かに笑いまぎらわせようとしている。私はゆめうつつにそれを耳に入れながら、最初は母と一しょになって訣《わけ》もわからず胸を一ぱいにしている。が、そのいさかいがだんだん昂《こう》じて、しまいにはそれまで皆の目を覚《さ》まさせまいとして互に小声で言い合っていたらしいのが、つい我を忘れたように声を高くしてくる。……突然、私はまっ暗ななかで一人でしくしくと泣き出す。父に訴えるのでも、母のために一緒に泣くのでもない、ただもうそれより他《ほか》にしようがなくって、泣くのを我慢しいしい泣いている。そのうちにやっと母がそれに気づいて、私をあやしに来てくれる。酒臭い父もそのあとから私のそばにやってくる。そして、父はよく枕《まくら》もとでお鮨《すし》の折などをひらきながら、「そんなことをするの、お止《よ》しなさいてば。……」と母が止めるのもきかずに、機嫌《きげん》よさそうに私の口のなかへ、海苔巻《のりまき》なんぞを無理に詰めこむのだった。そうすると私は反って泣いていたのを見つかったことをてれ臭そうにして、すぐもう半ば眠ったふりをしながら、でも口だけは仕方なしにいつまでももぐもぐやっていた。……

 私の知った最初の悲しみであった、そういう父母のいさかいが、どうかするとその翌朝になってもまだ続いていることがあった。
 そういうときなど、私はすぐ胸を一ぱいにして、彼等のそばを離れ、こっそりと庭へ抜け出していった。そしてその一番|隅《すみ》にある、やっとその中に自分の小さな体がすっぽりとはいれるような灌木《かんぼく》のかげに身をひそめて、誰にも見られぬようにしながら、一人で悲しんでいた。私はそうやって自分ひとりで悲しんでいれば、すべてが好くなると、なぜかしら思い込んでいた。そうしてそのために其処へ身をひそめただけで、もう目頭《めがしら》が一ぱいになって来るのを、やっと怺《こら》えながら、垣根の向うの、一面に雑草の茂った空地を、何か果てしなく遠いところのものを見ているかのように見ていたりした。或る日なんぞは、そういう自分の目の前に女の子のもつ手毬《てまり》くらいの大きさの紫いろの花がぽっかりと咲いているのに気がついたが、すぐそれへは手を出さずに、ひとしきり泣いたあとで、漸《ようや》っと許されたように、それをおずおずと掌《てのひら》にのせて弄《もてあそ》んだりしていたこともある。(註二)
 そうやって私が庭の一隅にいつまでも身をひそめていると、そのうちに漸っとおばあさんが私を捜しに来た。いつもの私の隠れ場をよく知り抜いているくせに、おばあさんはわざとそういう私に気がつかないようなふりをして、何度も私の名を呼びながら、私の方へ近づいてきた。そうして私と隠れん坊でもしていたかのように、彼女のすぐ目の前に私を見つけて、わざとびっくりして見せた。それからもうそんな遊戯が終ったとでも云うように、「さあ、もうおうちん中へはいろうね」とおばあさんは私にやさしく言葉をかけて、私の手を無理にとった。私はちょっと抗《さから》って見せたが、自分が頑張《がんば》っていればおばあさんの力ではどうにもならないのを知っているものだから、身ぶりだけで抵抗しいしい、おばあさんの手に引っ張って行かれるがままになっていた。自分の悲しみがすべてを好いほうに向わせたらしいことに、一種の自負に近いものを感じながら……
 おばあさんは私の家に泊りにきていないときは、いつも私の母の妹や弟たちの家へ行っているのだということを私はいつか知るようになった。小梅の、尼寺のすぐ近所にはずっと前から一人のおばさんが住んでいた。その家へは私もときどき母に手を引かれて家に遊びにいった。そうしていつとはなしに自分の家からその家へ行く道すじを覚えてしまっていたものと見える。(註三)
 或る日、私の父が、私のために小さな竜を彫った真鍮《しんちゅう》の迷子札《まいごふだ》を手ずからこしらえてくれた。それが私にはいかにも嬉《うれ》しかったのだろう。私はその日の暮れがた近くぷいと誰にも知らさないで家を出た。もうこれからは一人で何処へだって行ける。そんな得意な気もちになってしまって、私はまっ先きにおばあさんのいる小梅のおばさんのところへ一人で行ってみようとおもった。最初は元気よく歩いていった。へんに曲りくねった裏道をすこしも間違えないでずんずん歩いていった。が、そのうちに、大きな屋敷や藪《やぶ》ばかりが続いているところへ出た。そこまで来ると、私は急に何んだか心細く、どうしたらいいか分からなくなってしまった。私はただもう泣き出したくなるようなのをやっと我慢しながら、真鍮の迷子札をしっかりと握りしめて、無我夢中になって歩いて行った。しまいには殆ど走るようにして行った。そうしたらやっとのことでおばさんの家が見え出した。その垣根の中では、おばあさんが丁度干し物を取り込んでいた。
 おばあさんは私が一人なのを見ると、びっくりして飛んできた。「まあどうしたんだい、一人でなんぞ……」そういわれると、私はもう何も言わない先きから、わあと声をあげて泣き出した。ただ自分の兵児帯《へこおび》にぶらさげたその迷子札をしきりに引っ張っておばあさんに教えながら……
 そんな仲好しのおばあさんが居なくなって、茶の間で忙しそうにしている母にうるさくまつわりついては一人でぐずぐず言っているような時など、
「坊や、一しょに散歩に行こう。」と父が言ってくれた。
「あんまり遠くへはいらっしゃらないで。」母はいつも心配そうに言うのだった。
 私は父と出かけることも好きだった。しかし、父は先《ま》ず、曳舟通りなんぞにある護謨《ゴム》会社や石鹸工場のなかへ私を連れてはいり、しばらく用談をしている間、私を事務所の入口に一人で待たせておいた。その間、私はすぐ目の前の工場の中できいきいと今にも歯の浮きそうな位|軋《きし》っている機械の音だの、汗みどろになって大きな荷を運んでいる人々だの、或《ある》事務所の入口近くにいつも出来ている水溜《みずたま》りの中に石油が虹《にじ》のようにぎらぎら光っているのなどを、いかにも不安そうに、じっと何か怺《こら》えている様子で、見守っていなければならなかった。
 それから父は私の手をひいて、曳舟通りをぶらぶらしながら、その頃出来たばかりの業平橋《なりひらばし》駅の方へ連れていってくれた。それが私の忍耐の報酬だった。私はその新らしい駅が何んということもなしに好きだった。私はとりわけ、誰もいなくて、空《から》っぽ過ぎるくらい空っぽで、その向うに白い雲のうかんでいるようなプラットフォオムが好きだった。そのうち空《から》の汽車が徐《しず》かに後戻りして来ながらそれに横づけになって、何んにも見えなくなってしまう。やがて、プラットフォオムの上には人々の姿がちらつき出し、見る見るそれが人々で一ぱいになる。が、その汽車が何度も汽笛を鳴らしながら出ていってしまうと、あとは又以前のように空っぽになってしまう。そしてその向うにはまた白い雲のうかんでいるのが見える。そんなすべての変化が面白くってならなかった。――私がそうやって一人で改札口の柵《さく》にかじりついて、倦《あ》かずにそれらの光景に見入っている間、父は構内のベンチに腰を下ろしながら、売店で買った夕刊なんぞ読んでいた。


     赤ままの花


 私の若い頃の友人だった、一詩人が、彼自身もっと若くて、もっと元気のよかったとき、
[#ここから3字下げ]
お前は歌ふな
お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌ふな
[#ここで字下げ終わり]
 と高らかに歌った。その頃、私はその「歌」と題せられた詩の冒頭の二行に妙に心をひかれていた。それは、非常に逞《たく》ましい意志をもち、しかもその意志の蔭に人一倍に繊細な神経をひそめていた、その独自の詩人が自分自身にも向って彼の「胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところ」を歌ったのにちがいがなかった。その勇敢な人生の闘士は、そういう路傍に生《は》えて、ともすれば人を幼年時代の幸福な追憶に誘いがちな、それらの可憐《かれん》な小さな花を敢《あ》えて踏みにじって、まっしぐらに彼のめざす厳《きび》しい人生に向って歩いて行こうとしていた。……
 その素朴な詩句は、しかしながら私の裡《うち》に、云いしれず複雑な感動をよび起した。私はその僅《わず》かな二行の裡にもその詩人の不幸な宿命をいつか見出《みいだ》していた。何故なら、その二行をもって始められるその詩独特の美しさは、それは決してその詩人が赤まんまの花や何かを歌い棄《す》てたからではなく、いわばそれを歌い棄てようと決意しているところに、……かえってこれを最後にと赤まんまの花やその他いじらしいものをとり入れているために――そこにパラドクシカルな、悲痛な美しさを生じさせているのにちがいないのだった。若しそれらを彼が本当にその詩を書いたのち綺麗《きれい》さっぱりと撥《のぞ》き去ってしまったなら、その詩人はひょっとしたらその詩をきっかけに、だんだん詩なんぞは書かなくなるのではないか、という気が私にされぬでもなかった。
 それほど、私はより高い人生のためにそれらの小さなものが棄て去られることには半ば同意しながら、しかしその一方これこそわれわれの人生の――少くとも人生の詩の――最も本質的なものではないかと思わずにはいられない幼年時代のささやかな幸福、――それをこの赤まんまの花たちはつつましく、控目《ひかえめ》に、しかし見る人によっては殆《ほとん》ど完全な姿で代表しているのだ。……
「それはそうと、赤まんまの花って、いつ頃咲いたかしら? 夏だったかしら? それとも……」と私は自分のうちの幼時の自分に訊《き》く。その少年はしかしそれにはすぐ答えられなかった。そう、赤まんまの花なんて、お前ぐらいの年頃には、年がら年じゅうあっちにもこっちにも咲いていたような気がするね。……
 いわばそれほど、季節季節によってまるでお祭りのように咲く、他の派手な花々に比べれば、それらの地味な花はいつ咲いたのか誰にも気づかれないほどの、そして子供たちをしてそれがままごと[#「ままごと」に傍点]に入用なときにはいつでも咲いているかのような――実はその小さな花を路傍などで見つけて、誰か一人がふいと手にしてきたのが彼|等《ら》にそんな遊戯を思いつかせるのだが――心もちにさせる、いかにも日常生活的な、珍らしくもない雑草だった。
 しかしながら、その「赤まんま」というなつかしい仇名《あだな》とともに、あの赤い、粒々とした花とはちょっと云いがたい位、何か本当に食べられそうに見える小さな花の姿を思い浮べると、いまだに私には一人の目のきつい、横から見ると男の子のような顔をした少女の姿がくっきりと浮ぶ。それから、もう一人の色つやの悪い、痩《や》せた、貧相な女の子の姿が、その傍《かたわ》らに色褪《いろあ》せて、ぼおっと浮ぶ。それからその幼時の私のたった二人っきりの遊び相手だった彼女たちと、庭の無花果《いちじく》の木かげに一枚の花莚《はなむしろ》を敷いて、その上でそれ等の赤まんまの花なんぞでままごとをしながら、肢体《したい
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