やっとのことで二人がその兇手《きょうしゅ》から逃《のが》れ出してきたものが、いまや、もう二人が追いつきようのないほど遠ざかってしまったものだから、やむを得ずにとうとうその正体を現し、そんな凄《すさま》じい異形《いぎょう》をそこでし出してでもいるかのように、二人には見えるのであった。……
洪水
そういう夏が終って、雨の多い季節になった。
毎日が雨のなかにはじまり、雨のなかに終っていた。そういう雨の日を、たかちゃんも遊びに来ず、私はよく一人で硝子戸《ガラスど》に顔をくっつけて、つまらなそうに雲のたたずまいを眺《なが》めていた。それを眺めているうちに、いつか自分の呼吸《いき》で白く曇り出している硝子に、字とも絵ともつかないような、それでいて充分に描き手を楽しませる模様を描いては、それを拭《ぬぐ》わずにそのままにして、又ほかの硝子戸にいって雨を眺めていた。
そんな硝子の模様は、あたかも私自身のいる温かい室内の幸福を証明しているかのように、いつまでも残り、それに反して、それ等を透かして見えている雨にびしょ濡《ぬ》れになった無花果《いちじく》の木をば、一層つめたく、気持わる
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