ずに、ひたすら帰りをいそいでいた私達は、はじめてほっとし出した。そうして最初に沈黙を破ったのは、それまで私のために気づかって、かえっていつまでもそれを気にしすぎていることで一層私を不機嫌《ふきげん》にさせていた、不幸な少女の方だった。
「さっきの水たまりには小さなお魚が泳いでいたわね」そうおずおずした思い出し笑いのようなものを浮べながら、少女はそっちの方を振りかえって見た。
「ああ、ぼくも見た……」私もやっと自分自身にかえったように、急に元気よく言った。
 そう言い合いながら、二人は、それまで無我夢中になって歩いてきた野の方を、それを最後のように振りかえった。野の上には、二人の過《よ》ぎってきた途中の水たまりが、いまも二つ三つ日に反射していた。そのまたずっと彼方の、地平線の方には、二人のまだ見たこともないような大きな入道雲が浮び出していた。(実はさっき野原を横切っているときから二人には気になっていたのだった……)それが、いま、極《きわ》めて無気味な恰好に拡がって、もうずっと遠くになった硝子工場の真上に覆《おお》いかぶさろうとしているところだった。さっきから二人を脅かしつづけていたもの、
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