一本の無花果の木に、求めようとし出していた。
「お母あさん」と或る日私は庭の中に母と二人きりでいるとき問うた。「おうちの無花果はいつ実《み》がなるの?」
「もうじきだよ……ほら、あんなにお乳が大きくなってきたろう……」といって、母はその枝にだいぶ目立つようになった、まだ青い実を私に指さして示した。
「早く食べられるようになるといいね。」私は母に同情を求めるように、いくぶん甘えながら言うのだった。
みんなで楽しみにしていたその実がいくらたんと熟《な》っても、残らず自分一人で食べてしまうから。誰にだって分けてやりあしない。――そんな仕返しが私には、お竜ちゃんや、たかちゃんに対して、まあどうやら満足のできるような仕返しのように思えていた。
その日々、私は、その無花果の木かげに花莚《はなむしろ》だけは前と同じように敷かせて、一人で寝そべりながら、そんな実の出来工合なんぞ見上げていたが、ときどき思い出したように跳《と》び起きて、見真似《みまね》で、その木へ手をかけて攀《よ》じ上がろうとしては、すぐ力が足りなくなって落ちてばかりいた。が、少しずつ手の痛さを我慢できるようになって、それから上へは攀じのぼれないまでも、だんだん一と所の幹にじっとしがみついていられるようになった。或る日、縁側から、母がそういう私らしくない乱暴な木登りを見ていた。いつもならすぐ私がそんな真似をするのを止《や》めさせる母は、そのときはぼんやりした顔をして、私がそんなあぶないことをするがままにさせていた。……
或る日、母が又たかちゃんの手をとるようにして、私のところに連れてきてくれた。たかちゃんはしばらく逢《あ》わなかったので、すこし気まり悪そうな顔をしていたが、しかし私に対する昔の従順な態度を少しも変えていなかった。それが私に「どうして来なかったの?」と思い切って彼女に訊かさせた。と、たかちゃんはなぜか暖昧《あいまい》に「来ないって、お竜ちゃんと約束したんだもの」とだけ返事をした。私はなんだか悔しいような気がしたが、「どうして?」って、それ以上は訊こうともしなかった。そしてただ相手がたかちゃんだけでは何んだか物足りなさそうにしながらも、しかし何処かへ打棄《うっちゃ》らかしておいた、小さな皿や茶碗《ちゃわん》などを一所懸命に掻《か》き集めて、前と同じようなままごとを二人だけでしはじめた。それは大人たちの又かと思うような、いかにも単純な遊びだが、小さな子供というものは、それはときには目先きの変ったことを求めもするが、それにはすぐ倦《あ》いてしまって、またもとの、いつまで繰り返していても倦きることのないような、家常茶飯《かじょうさはん》的な遊びに立ち返っていくことを好むものだ。
「何かもっと他《ほか》のことでもして遊んだらどうなの? いつも同じことばかりしていないで……」母さえそういう私達を見ながら言うのだった。
それが私を多少|羞《は》じらわせ、そんな女の子のような遊びを続けることを幾分ためらわせた。が、私はすぐ強情を張って、
「これがいいんだい……」とぶっきら棒に答えて、ねえ、たかちゃんと言うように相手の少女の方を見た。
「…………」たかちゃんは何か気まり悪そうに私の母の方を見上げ、ちらっと微笑《ほほえ》んで、それから私に同意をした。
たかちゃんはそれから又毎日のように遊びにきた。たかちゃんは私と二人きりだけだと、いつも小さな母親のように私の世話を焼いたりするのが好きだった。最初はそういうおせっかいなやり方が、私には小うるさくて、気に入らなかったが、そのうち不意に、そういうたかちゃんに、これまで自分の母にしつけて来たが、そんなこともいまはちょっと出来にくくなったような幼い日の仕草を再び繰りかえす事に、――そういう事をもいかにも自然に行わせてくれる二人きりのままごと遊びに、妙な魅力のようなものを私は感じはじめた。小さな私がそんな自分よりももっと幼い子の真似《まね》をして、花莚にくるまって寝ていると、たかちゃんは小さな母親のように、上手《じょうず》にいろいろとあやしたり、赤まんまなどを食べさせる真似をしてくれたりするのだった。……
そうやって母と子の真似をしあって遊んでいる私達を、いまは殆《ほとん》ど隠すばかりになった無花果の木の、厚い葉かげには、漸《ようや》っと大きくなった果実がだんだんと目立ち出していた。ときどき虫の食った、まだ青い果実がぽつんと一つ、鈍い音をさせて落ちてきた。それを手で無理に裂いてみると、白い乳のようなものを吐いた。私はそれをたかちゃんのおっぱいだといって、何か気ちがいのようにきゃっきゃっといってふざけながら、その乳汁を方々へこすりつけたりした。
そんな夏ももう終ろうとする或る午後だった。それまで無花果の木かげで遊びにふけっていたたか
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