子で、「……ほら、お前の好きな玉子焼だよ。……ね、一口でもお食べ……」
「……」私は黙って首を振った。
他の生徒たちは私と同じような小さなアルミニウムのお弁当箱をひろげて、きゃっきゃっと言いながら食べ出していた。例の少女のところでは、二人の小間使いが代る代る立ったり腰を下ろしたりして何かと面倒を見ていた。おばあさんは私にすっかり手を焼いて、それ等《ら》の光景を上気したような顔をして見ていた。私の隣席にいた、雀斑《そばかす》のある、痩《や》せた少女が私に目くばせをして、そのちぢれ毛の少女に対する彼女の反感へ私を引き込もうとしていた。が、私がそれにも知らん顔をしていたので、彼女はしまいには私にも顔をしかめて見せた。
私はとうとう強情に自分の小さなお弁当箱をひらかずにしまった。
午後からは折り紙のお稽古《けいこ》があった。例の少女のところでは、小間使いが一緒になって、大きな鶴《つる》をいく羽もいく羽も折っていた。私には折り紙なんぞはいくらやっても出来そうもないので、おばあさんにみんな代りに折って貰《もら》いながら、私は何かをじっと怺《こら》えているような様子をして、自分の机の上ばかり見つめていた。
その日行ったきりで、翌日から又私は、こんどはまるでお弁当の事からみたいに、幼稚園を休んでしまった。
しかし、その一ぺん見たっきりの、その異人のような、目の大きい、ちぢれ毛の少女は、他の優しい少女たちとはまるで異《ちが》った風に、いかにも高慢そうな様子をして、私がいくら彼女に対して無関心を示しても、いつまでも私の記憶の裡《うち》に残っていた。……
口|髭《ひげ》
子供の私は口髭を生《は》やした人に何んとなく好意を感じていた。
私の父は無髭だった。それからまた私のおじさん達の中には、誰一人、口髭なんぞを生やしている者はなかった。彼|等《ら》は勿論《もちろん》、例外だった。――若し彼等の中で一人でも口髭なんぞ生やしている者があったら、反《かえ》って何かそぐわないような気がされ、子供の私にもおかしく見えたろう。――それに反して、うちへ来る客のなかで、私の特に好意をもった人々は、みんな口髭を生やしていた。その真面目《まじめ》な口髭が私には何んとなくその人に対する温かな信頼のようなものを起させた。この人になら安心していいと云った気もちになれるのだった。――ど
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