われて散歩に来るときなど、私はよく桜の木の下に立ち止まって、彼等の遊戯に見入っていた。ことにそのオルガンの音が私には何んとも言うに言われず魅惑的だった。そんな私を待ちくたびれて、ぼつぼつと歩き出していたおばあさんが、いつかもうずっと先きの方まで行ってしまっているのに気がつくと、私は漸《ようや》っとその場を立ち去るのだった。
 或る日、母が私に言った。
「お前、幼稚園へ行きたいの?」
「…………」私は羞《はず》かしそうに、頭を振るばかりだった。
 しかし、私はそこの幼稚園へ入れられることに決められた。或る午後、私は母に連れられて、その土手下の幼稚園のなかへ這入《はい》っていった。生徒たちはもういないで、園内はすっかり建物の影になっていた。そんな園内を歩きながら、一人の、庇髪《ひさしがみ》の、胸高に海老茶《えびちゃ》の袴《はかま》をつけた、若い女の人が私の母に何やら話していた。それがいつも愉しそうにオルガンを弾《ひ》いている人であることが私には自然に分かった。その見知らぬ女の人は私の手をとって、いろんな運動器具に乗せてくれたりした。何もかも私には少しこわかった。……
 最初の朝、金の総《ふさ》のついた帽子をかぶせられて、おばあさんに伴われながら、私はその幼稚園の門の前まで行った。が、私達よりか先きに来て、仲好さそうに運動場で遊んでいる数人の子供たちを見ると、私は急に気まり悪くなって、どうしてもその門の中へはいれず、おばあさんの手を無理に引張って、そのまま帰って来てしまった。
 それから二三日、私は、幼稚園へはいるというので父に買って貰《もら》ったその金の総のついた帽子を、家の中でかぶって、一人で絵本ばかり見ながら遊んでいた。或る日、見おぼえのある海老茶の袴をつけた、若い女の人が訪れてきた。私は宥《なだ》めすかされて、又次ぎの日から幼稚園に行くことになった。
 翌日、私は再びおばあさんに伴われて、こんどは三十分ほども前から、まだ誰もいない園内にはいって、皆の集ってくるのを、先きまわりして待っていた。最初は唱歌の時間だった。みんな一緒になって同じ唱歌を何べんも繰りかえして唱《うた》っていた。しかし私だけはいつまでも一緒にそれを唱えなかった。しまいには私は火のような頬《ほお》をして、じっと下を向いたきりでいた。あんなに私の好きだったオルガンまで、その時間中、私には意地悪な音ば
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