すすきはら》になっていて、大きな溝《みぞ》を隔てて、すぐその向うが華族のお屋敷になっていた。こちら側には低い生籬《いけがき》がめぐらされているだけだったので、自分より身丈の高い芒の中を掻《か》き分けて、その溝の縁まで行くと、立木の多い、芝生《しばふ》や池などのある、美しいお屋敷のなかは殆《ほとん》ど手にとるように見えるのだった。ときおりその一家の人達がその庭園の中に逍《さまよ》ったり、その花の世話をしたりしているのを見かけると、私の胸には何とも云いようのない寂しい気もちと、それから生ずる一種のとりとめのない憧憬《どうけい》の心とが湧《わ》いてきた。
 そういう自分たちのいる世界とは全く別の世界があるという発見は、もう一つの物語の世界の発見と相俟って、他のいかなる大きな現実の出来事よりも、私の小さな人生の上にその影響を徐々に目立たせて行った。
 父はその芒の生《は》えていた空地の一部を借りて、そこへ細工場を建て増すことになった。それは私がいつもこっそりと一人でさまざまな事を夢みていた隠れ場所を早くも狭《せば》めることになった。しかし、そういう子供たちの隠れ場所というものは、それが狭ければ狭いほど、ますます見つかりにくく、そして子供たちにますます愛せられるのだった。
 その裏の大きな溝に、私は或る日、どこの家の所有だか分からない、古い一艘《いっそう》の小舟が繋留《けいりゅう》せられずにあるのを見出した。その日からそれに気をつけて見ていると、それは毎日のように、流れのままに漂って、あっちへ行ったりこっちへ流れよったりしているのだった。私はその小舟をいつか愛し出していた。若し私がそれに乗れたら、その日頃私の夢みていたすべての望みが、何もかも不思議に果たされそうな気がされてならなかった。……


     幼稚園


 桜並木のある堤の下の、或《ある》小さな路地の奥に、その幼稚園はあった。――その堤の上からも、よく晴れた午前などには、その路地の突きあたりに、いつも明け放たれた白い門の向うに、青葉に埋もれたような小さな運動場が見え、みんな五つ六つぐらいの男の子や女の子が入れ雑《ま》じって、笑ったり、わめいたりしながら、遊戯なんぞをしていた。ぶらんこが光り、オルガンが愉《たの》しげに聴《きこ》えていた。……、
 屡※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》、その堤へおばあさんに伴
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