、――そういうはじめてそれを手にしたときの幼時の自分に対するなつかしさなしには、その物語を味《あじわ》われなくなっていた。たとえば、はじめて物語の世界、いわば全然別箇の世界を私に啓示するきっかけとなった、それらの雪の日の絵だけを例にとって云えば、私はその絵を見る度毎《たびごと》に、それをはじめて母の膝下《ひざもと》でひもといた、或古い家のなんとなく薄暗い雰囲気《ふんいき》を、知らず識《し》らずの裡《うち》に思い出さずにはいられないのだ。――そうしてまた同時にその思い出の生じさせる一種の切なさにちがいないのだ、私がいつもその雪の絵を見るたびに感ずる何処か遠いところから来る云い知れぬ感動のようなものは……
その絵双紙に次いで、もっと他の絵双紙が私のまわりにだんだん集って来て、私の前に現実の世界に対抗できるほどの新しい見事な世界を形づくり出したのは、しかし、その神田の家を立ち去ってからであった。
私の父は、向島の水漬いた家からときどき私達に会いに来た。一時は軒下までも来た水ももうすっかり去ったが、そのあとの目もあてられない程にひどくなっていることを話し、何処かにしばらく一時借住いしなけれはならない家の相談などを母たちとし合ったりしていた。
幼い私は、父が来てそんな話をしていく度毎に、そんなわが家のことなどは思わず、唯《ただ》、ながいこと可哀そうに水につかっていた無花果の木のことだの、どこかへ流れ去っただろう玉網のことだの、それから其処《そこ》から引越してしまえば、もう会えなくなってしまうだろうお竜ちゃんのことだの、それから少し、たかちゃんのことだのを、切なく思い出していた。
芒《すすき》の中
「ほら、見てごらん」と父はその家の壁のなかほどについている水の痕《あと》を私達に示しながら、「ここいらはこの辺までしか水が来なかったのだよ。前の家の方はお父さんの身丈《みたけ》も立たない位だったからね。……」
その私達の新しく引越していった家は、或る華族の大きな屋敷の裏になっていた。おなじ向島《むこうじま》のうちだったが、こっちはずっと土地が高まっていたので、それほど水害の禍《わざわ》いも受けずにすんだらしかった。前の家ほど庭はなかったが、町内は品のいい、しもた家《や》ばかりだったから、ずっと物静かだった。
引越した当時は、私の家の裏手はまだ一めんの芒原《
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