いるきりだった。
夕方、私は佐吉が来たのを見ると、急にはしゃぎ出した。佐吉は何か二言三言おばさんやおばあさんに言っていた。すべてが片づき、佐吉は果して私を迎えに来てくれたのだった。そのときも私は甘えた気もちで、自分から佐吉におぶって貰《もら》って、家に帰った。家に着くと、父も、母も、ちっともふだんと変らない様子で、いかにも何事もなさそうに私を迎えた。私は何が何んだかよく分からないながら、子供特有の順応性で、そういうすべてのものをそのまま何んの躊躇《ちゅうちょ》もせずに受け入れた。そうして私は、そんな出来事のあったことさえ、若しもその結果として私のまわりに何んの変化も起さなかったならば数日のうちには忘れ去ったかもしれなかった。……
ただ小さな私にもすぐ気のついたのは、そんな事があってから私のところへぱったりと誰も来なくなった事だった。最初のうちは、まだ私が家に帰って来ていないと思って遊びに来ないのだろうと思っていた。が、二日立ち、三日立ちしても、誰も一向やって来そうにもなかったので、私はやっぱり自分の留守の間に何か変った事があったのだろう位に思い出した。しかし、はにかみやの私はそんな事を人に訊くのは何かばつが悪いような気がして何も訊かずにいた。が、或る日、私は父に連れ出されて、ひさしぶりで業平橋《なりひらばし》の方まで行き、そこの駅の中で、ぴかぴか光った汽車が何処《どこ》か遠くのほうに向って出発するのをひととき見送ってから、いかにも満足した気もちになって、家の方に帰ってきたとき、路地の奥にいた二三人の子供たちが私たち父子を見ると急いで物蔭にかくれるのを私は認めた。その中の一人は確かにお竜ちゃんにちがいなかった。――私はやっとそれですべてが分かったような気がしたが、父には何もいわないで、ただ急に気の抜けたように、それまで父の手をしっかりと握っていた自分の手を心もち弛《ゆる》めた。……
私はそれから当分の間誰れの顔を見るのもこちらから避けるようにしていた。お客などがあると、私は急いで庭の隅《すみ》へ逃げていって、そこで一人で遊んでいた。私はもうお竜ちゃんやたかちゃんの事なんぞはどうだって好いと思いながら、自分がそれまで彼女|等《ら》から受け取っていたすべてのものを、自分の大好きなあの無花果《いちじく》の木に――それだけがまだそっくり以前のまま私のまえに残されている
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