通訳してくれた。さっきからT君の方をばかり見ていたその主人は、今度はそのおずおずしたような視線を私の方へ注いで、ではひとつその部屋を見てくれと言いながら、先きに立って、便所やらコック部屋やら浴室やらの前を通りぬけながら、ずっと奥まった部屋へ――そんな奇妙なところに二つばかり小さな部屋があるのだが、その一つのなかへ私たちを導き入れた。
そんな奥まった小さな部屋へはいると、いきなりT君が仏蘭西《フランス》の何処とかの田舎《いなか》で泊ったことのある古い旅籠《はたご》の部屋にそれがそっくりだと言い出したので、私もそうかなあと思いながら、そこにある古ぼけた寝台だの、いやに大きな鏡ばりの衣裳戸棚だの、剥げちょろな鏡台だの、小さなナイト・テエブルだのを眺《なが》め廻しているうち、それがいかにもそんな外国の片田舎にありそうな旅籠屋のような気がしだした。そしてこの悲しげな部屋がいまの私の心に不思議なくらい似つかわしいように思えた。
その小さな部屋が朝飯つきで一泊三円だという。そこで私はともかくも十円札を一枚だけ渡しておいた。そうすると、その時までともすると、小さなトランクひとつ持っていない私たちを
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