のT君のところへ電話をかけた。T君はすぐ私のいる店へ来ると言った。そうして私がまだ一杯のオレンジエードを飲んでしまわないうちに、そのT君が元気よくはいって来た。彼はベレ帽をかぶり、なんだか象の皮のような外套《がいとう》を着込んでいた。
それから私たちは薄ぐらい山手通りを、狭い坂を上ったり下りたりしながら、小さなホテルから小さなホテルへと歩き廻っていた。しかし私の気に入ったホテルはひとつも無かった。私たちは再び中山手通りへ出た。しかしそのだだ広いだけ、かえって薄ぐらい感じのする電車通りには、ほとんど人影がなかった。T君が突然立ち止まった。そうして電車通りの向う側にある一つの赤ちゃけた小ぢんまりした建物を指さした。その家の上の、煤《すす》けたなりに白白とした看板には、
HOTEL ESSOYAN[#「HOTEL ESSOYAN」は斜体]
という横文字が、建物と同じような赤ちゃけた色で描かれてあるのが、ぼんやりと読めた。遠くからそれを一目見たきりで、その小さなホテルは私の気に入った。――と見ると、その電車通りに面した二階の窓の一つが開かれていて、それが細長い光りを暗い鋪道《ほどう》の上
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