ついて、それをボオイに言おうと思っていた私は、ついその男の方に気をとられて、それを言いそびれていた。……そのうちにどうしてだか突然、私には、この食堂の隅々《すみずみ》にまで漂っていそうな、陰惨というほどのものではないけれど、何かしら重苦しい、澱《よど》んだ空気が呼吸苦《いきぐる》しく覚えられだした。そしてそれをあたかも具体化したように、私の咽喉はへんにえがらっぽくなり出した。どうもすこし扁桃腺《へんとうせん》をやられたらしい。そうして砂糖なしのポリッジは大へん不味《まず》かった。
私はこのホテル・エソワイアンには、四日ばかり泊った。三日目ごろからますますこのホテルの中の噎《むせ》ぶような重い空気が私には我慢しきれなくなった。何ということなしに世間の空気が息苦しくなったあまりに、その息ぬきにわざとこんな世間から離れたようなホテルを選んで泊ったのであるけれど、このホテルの中のそういう空気は私を一そう窒息させそうにした。私はもっと新鮮な、そして気持のいい空気がほしくなった。私はとうとう須磨《すま》の方へ宿を替えることにした。
そうして私がこのホテルを立ち去ろうとする前に、最後に私の経験
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