と、その中はひっそりかんとして、誰もまだ帰ってきていないのか、それとももうみんな寝てしまったのか、分らないくらいだった。薄ぐらい廊下にただ一匹、からす猫がうろうろしていた。私はふとヴェルネ・クラブでちらっと見た美しい婦人の抱いていた仔猫《こねこ》のことを思い出し(どうしてだか、それがずっと数日前のような気もしたが)、そのきたならしい猫をそっと抱き上げて、咽喉《のど》のところを撫《な》でてやったら、すぐにそいつが咽喉をごろごろ鳴らし出したので、私はなんだか反《かえ》ってさびしい気がした。床におろしてやると、私の足へ身をすりよせるようにして、ついてくるのだ。すこし邪魔っけになって、私はその猫を足で向うへ押しやりながら、自分の部屋にはいろうとしてそのノッブに手をかけた拍子に、ひょいと薄ぐらい廊下の突きあたりを見すかすと、其処に、二階への階段へちょっと片足をかけたまま、ぼんやりした人影がこちらへ顔を向けながら突っ立っているのに気がついた。それは女にはちがいないが、その顔は電燈の片光りを浴びて、へんに無気味な凸凹《でこぼこ》をつくっているので、それが少女の顔なのか年よりの顔なのか私にはどうしても
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