らいであった。それも大抵五円とか十円とかいう金額らしいので、私は少しばかり呆気《あっけ》にとられてその光景を見ていた。それほど、私はともすると今夜がクリスマス・イヴであるのを忘れがちだったのだ。
私はなんだかこのまんま、いつまでも、じっとストーブに温まっていたかった。しかし私は旅行者である。何もしないで、こうしてじっとしていることも、後悔なしには、出来ないのである。
やがて若い独乙人夫婦は、めいめい大きな包をかかえながら、この店を出て行った。JUCHHEIM[#「JUCHHEIM」は斜体]と金箔《きんぱく》で横文字の描いてある硝子戸《ガラスど》を押しあけて、五六段ある石段を下りて行きながら、男がさあと蝙蝠傘《こうもりがさ》をひらくのが見えた。私は一瞬間、そとには雪でも降りだしているのではないかしらと思った。ここにこうしてぼんやりストーブに温まっていると、いかにもそんな感じがして来てならなかったが、静かに降りだしているのは霧のような雨らしかった。
その夜十二時近くに、私はすっかり雨に濡《ぬ》れ、力なげな咳《せき》さえしながら、午前中に出たきりのホテル・エソワイアンに帰って来てみる
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