い今しがたこの部屋を片づけに来たホテルの主婦らしい女が、鏡台の抽出《ひきだ》しから腕いっぱいに書類を取り出して、それを他の部屋へ移そうとするのを見て、それはそのままにして置いてもいいと言ったら、それを又元のところへ入れ直して行ったのをひょっくり思い出した。私はベッドから起きて行った。そうしてその抽出しに手をかけようとした時、ちょっと気がとがめたが、どうせこんなところへ入れっ放しにして置くほどのものなら大事なものではあるまいと思い直して、それを構わずに開けてみた。抽出しの中はなんだか私の読めない露西亜語の本ばかり詰まっていたが、なかに一冊|独乙《ドイツ》語の薄っぺらな本の雑っているのを見つけた。それから小さな独露辞書らしいものもあった。その薄っぺらな本を手にとって見ると、モスコオで発行されたハイネの小さな詩集であった。これゃあいいものがあったと、私はそれを手にしたまま、再びベッドにもぐり込んだ。ぱらぱらと頁《ページ》をめくってみると、或る頁に名刺ぐらいの大きさの写真が一枚|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》んであった。雀斑《そばかす》のありそ
前へ 次へ
全31ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング